さわだ行政書士事務所のブログ 二足のわらじの奮闘日記

京都府亀岡市にある「さわだ書店」と「さわだ行政書士事務所」。書店をしながら行政書士も頑張っています。

休眠抵当権って、何?

台風18号が接近していますね。

なんでも大型だとか。被害が少ないことを願います。

 

さて今日は、「休眠抵当権」について、お話したいと思います。

「休眠抵当権」とは、長年にわたり不動産の登記簿に残ったままの抵当権(債権)のことです。

不動産の登記に関することの専門家は司法書士さんですから、制度の本質的で個別のお話は私の立場ではできないので、あくまで個人的な感想を述べたいと思います。

 

相続の手続きなどのため、不動産の登記簿を見ておりますと、古い抵当権を見ることがあります。

例えば、「抵当権設定 受付 明治〇〇年、債権額 100円」などです。

これって、有効なの?と思いますが、有効です(残念ながら)。

ただし、弁済期が記載されていれば時効が成立していますから、支払いの責任はすでに消滅していると考えられますよね。

 

しかし、この抵当権を抹消することは、容易ではありません。

原則として、債権者(お亡くなりになられているので、その相続人の全員)から、同意を得なければならないからです。

抵当権の抹消登記は、抵当権者(債権者の相続人全員)と抵当権設定者(所有者)の共同申請ですることになっています。

例えば抵当権設定が明治時代であるなら、現在までに相続は何代にも及んで、しかもその子である兄弟に、またその兄弟それぞれの子と、もう芋づる式に相続人の数は膨らんでいるはずです。

その数多くの相続人の方々に、わずか100円の債権のために同意を得ると言うのは、現実的ではありません。

しかし、そのような手続きを経て、それでも同意が得られない場合は、その相続人の全てを相手に訴訟を起こすことで、判決が得られれば最終的に抵当権の抹消ができるという手続きが求められます。

 

ただし、債権者が行方不明であること等、一定の要件が証明できれば、簡易的な例外として、当事者の一方(つまり債務者であり抵当権設定者)から、抵当権の抹消申請をすることができます。

この場合、債権額に加え、現在までの遅延損害金の合計額を、法務局に供託する必要があるのですが、この場合は現在の貨幣価値で計算し直す必要はありません。

つまり、100円と損害遅延金あわせて、数千円で済むということです。

 

でも、この例外って、相手が行方不明である必要があるんですよね。

債権者の末裔が、登記簿に記載されている土地を相続されている、もしくは、そこに住んでいらっしゃれば、ほぼ間違いなく、現在でも連絡は取れるということになります。

ということは、簡易な方法での抵当権抹消の例外は使えず、債権者の相続人全員に連絡をするという、途方もない作業をしなければなりません。

 

この「休眠抵当権」って、現在ではちょっと考えられないですよね。

現在は一般的に個人でお金を借りるとすれば、借金のため、もしくは住宅ローンのためなどですが、抵当権を設定してまでお金を借りる先は、ほとんどが金融機関ですよね。

だから、返済後は当然に抵当権の抹消登記を、普通はします。

しかし、昔々は個人間でのお金の貸し借りが頻繁で、その担保には土地や建物の不動産であったために、その名残といいますか、その影響が現在においても見られるのです。

決して希なケースではないようです。

 

時効が成立していることが明らかなら、何か簡易な方法で抹消できるような、そんな仕組みになっていかないと、あまりに煩雑過ぎますし、現代の社会の仕組みに合わず、時代錯誤のような気がします。

なにしろ昔は登記簿なんて、そんなに見なかったでしょうし、今よりも記載が複雑で手書きで読みづらく分かりにくいですから、今よりも、もっと遠い存在だったんではないでしょうか。

閉鎖された当時の登記簿を閲覧すると、とても難解に見えます。

当時は登記をしたつもり、変更や削除(抹消)したつもりであっても、制度が複雑ですから、一般市民にしてみれば分かりにくく、誤解や誤認が起こりやすかったかもしれません。

それでいて現在も「休眠抵当権」の効力は残っていて、それを外す(抹消する)のに時間も手間もお金もかかるのでは、負担が大きすぎるように思います。

 

それでも、抹消しなければ不動産が売買できないのであれば、相応の費用を支払ってでも、抹消するための手続きをするしかありません。

もちろん、その際の手続きは、司法書士さんや弁護士さんにお願いすることになります。

 

空き家や耕作放棄地の農地、山林については登記の在り方の議論が有識者の間で始まっていると聞きますが、ぜひこの「休眠抵当権」についても、見直しがあれば、相続人さんにとっては有難いことだと思います。

 

以上、一市民、一個人としての感想でした。